2012年11月1日木曜日

girl.


家にこもっていることが多い。わたしは比較的活動的に見られることが多いが、怠けるのには大した才能の持ち主で、休日は家にいてだらだらしていると気が付けばいつも夕方とか、下手すりゃ夜なんてことはしばしば。。友人の女の子からある休み、連絡が入って「まだベッドの中」と答えたら「世の中は動いてますよ」と叱られてしまう。「その叱り方良いですね」と心くすぐられ、あははと笑ってしまっている。後悔なんてしないのだ。寝て過ごしたり、何もしないことに然して咎める気持ちが無い。何かしなくては駄目な時だって沢山ある。辺りは何かしてなければならない事だらけだ。皆さんはどうなのだろうか。
 昨晩、大濠公園のスターバックスに久しぶりに出向いた。「世の中は動いていますよ」の彼女と会うため。最初彼女とだけ会う予定だったが、今月わたしはフランスへ逃避行するため、パリの地図や本を貸してくれる手筈になっていたまた別の女の子の友人も急遽来る事になった。もともと彼女等2人は友人関係で、「久しぶりだね」とお互いに嬉しそうに会話している。こんな時の人の表情を見ているとウキウキする。心臓のどこかで鈴が鳴る。「地図と本」の彼女は母であり、「世の中は動いてますよ」の彼女とわたしは独身で、でも何にも変わらない。会話の運びも考えていることも。アイデンティティの問題なんだなおそらく。昨晩の大濠のスターバックスは比較的に空いていたが、我々は外の席についた。少し寒くなって後で中に入ったが、2時間くらいは外で話していた。

 3人で話しながらもわたしだけ店内が見渡せる向きに座っていたから、店内が常に何気なく視界に入ってきていた。見る気があるでも無く、見たくないわけでも無くといった風で気が付いたらある女性の動きに目が止まっていることに気が付く。わたしよりは少し年上かといったかんじである。隣には女性よりはわりと年上と思われる男性が座っていて、二人でiPadを頻りに操作しながら、もの凄い至近距離で会話している。別にそのカップルがどうのこうのと言う訳では無く、わたしの目に止まっているのは女性の表情や仕草の方ばかりで、話を聞く時の目の輝いたかんじ、笑った時に両手が口元にいくかんじ、いかにも女の子らしくってかわいい。あんなことわたしってしてないだろうし、彼女がその仕草を狙って意識しているわけでは無く普段通りにしているのが分かるから、わたしはその時ほぼ全くの異生物としてその女性を見た。そうして、また周りを見ると、もう異生物に見える女の子ばかりなのに気が付いて面食らってしまった。初めて感じた感覚なわけでは無いが、少しショックを受け、気が付けば身体も随分冷えてしまったので、「中へ入ろう」と「世の中は動いてますよ」の彼女へ促し、「地図と本」の母である友人が帰った後、店内へ入り、その時感じた内容を出来る限り思った感覚と忠実に話した。彼女は「ユウちゃん(わたくしのこと)にだってあるよ」「全く同じじゃないかもしれないけど、ゆうちゃん(わたくしのこと)だって面白いこと考えて話している時とかね」と言っている。しかし、明らかにそれとは類いの違う。それは子供らしさの可愛さであって、明らかに違うではないか。わたしは女性を異生物と感じることの方が日頃から多い気がした。女性に恋する事はまず無いが、そういう意味と違っていて、何て言ったらよいか、説明し難い、男性も勿論異生物なのだが、男性の方がどちらかといえば近い生物の様に。
その日は帰ってからもそのショックから抜け出せず、何故こう思ってしまっているか考えた。わたしの歴史は家にあり、親にあり、この世に姓を受け「藤井裕」となった時から運命は決まっている様にしか思えなかった。殆どの事を、女の子だからしては駄目だも無かったし、逆に女の子だからしなくて良いもなかった。小学校の夏休みの合宿で、名前のせいで男の子のグループに入れられていて、女の子グループの先生の読み上げる名前にいつまで経っても出てこなかったことも、大学の語学専攻していた仏語でムッシュ藤井と呼び続けられたことも、すべてはこの世に姓を持った時に決まっていた。手の届かない天井に電機の傘を付ける時だってテーブルに椅子をのせ、その上に乗り爪先立ちしても、10センチばかり足りなくって、さらに椅子を重ね、不安定に膝をガクガクさせながらでも自分で取り付けてしまったことも、全部全部。。。そう生きざるを得ないことを。


                                                 Listen→   youtube.com/watch?v=HC4Tb727aGA