Henri Julien Félix Rousseau
2013年がまた今年として始まって7日が過ぎた。しばらくshironezuもuramadoも書くことが出来ていなかった。文章を書く時間というのはわたしにとっては何か特別な意味を持っていて、頭を整理してゆく様な、若しくは生産という二つの両極状況が重なり合う不思議な時間といえる。少なくとも絵を描く時に整理はしない。
今年は明けてから実家に帰省するでも無く、とにかく丸2日は自宅で一人、寝たい時に寝、食べたい時に食べ、こう書いてみると、普段の自身の生活と何が違うのだと言いたくなるところだが、そうしているのがお正月というところが重要なのだ。お正月に何も進歩的な事をしないところが重要なのだ。言い方変えればただの寝正月でもある。自宅マンションでは父が取り付けてくれたガスファンヒーターのお陰で、この年始はリビングにコタツが登場せず、服装も軽装備でグレングールドのバッハを聴いたり(優雅なかんじがするがマイナーの曲、短調の1曲をひたすらリピートで聴いたりなので優雅でも何でもない)、正月番組を観る気にはさらさらなれず、Jcomで放映されている映画を垂れ流しで観たりしていた。ピアノも久しぶりに2時間以上弾いた。自宅ですることで思いつくことは一通りしてしまうと人間本を読む。選択の余地無くそんな雰囲気になるのだ。そんな状態で、いざ「今年最初の本何にしようか」、とか年始めの事何かも少しは意識してしまうから厄介だ。自宅にある本はある本の数もしれているし大体把握している。その中に読み直したい本は思い当たらなかった。かと言って寝てばかりいた重い身体で外出してまで本を買い求めに出る気も起きず、仕方なしに本の入っている竹の籠の中身を探る。
「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」川端康成。「雪国」を手に取る。実際一番ピンときたが、本を開いて古本のため活字が昔の字面で、こういった昔の活字印刷ものは椅子に座って読みたいわよね、、となり、他には他には?と探していたら向田邦子、夏目漱石、ああ何かもっとこんな硬派な文章じゃなく、もっと何かなよなよしたかんじの湿っぽいかんじの、、と探していた手元に三島由紀夫。ビンゴではないが悪くないかもね。と、読むことになった。そういった訳で、今年最初に読んだ本は三島由紀夫「金閣寺」。
31日くらいは年末らしく年越しのお蕎麦を食べた。